2014年6月24日火曜日

人はなぜ共食するか

学会の打ち上げで、同席の人たちと「人はなぜ人と一緒に食事をしたがるのか?」という話題で盛り上がった。仕事の後で同僚と、初めてあった人とお近づきの印に、久しぶりに会った友達と、「一緒にごはん食べようよ」となるのはなぜか。食べることはなぜ社交になるのか。人はなぜ共食するのか。
私が最初に思いついたのは、味や匂いは、一人で食べるのと親しい人と食べるのとでは違って感じる、ということ。親しい人と食べる方が、明らかにおいしく感じる。一人だと、食べ物を口に詰め込むだけのように感じることがある。逆に、誰かと一緒でも、親しくない人とか緊張した状態だと、味がわからないこともあるけど。
動物の中で食べることを他の個体と共にするのはヒトだけらしい、という意見もあった。他の動物では、複数個体が同時に食べると、食べ物の奪い合いになってしまう。そうならないのが、人の社会性と理性の現れなのではないかと。
その中で、隣に座った先生から、こんな意見があった。生き物としての生理現象を他の個体と一緒に行うときに、人は心地よく感じるのではないか。そうかもしれないと思った。生理現象とそれに伴う身体的感覚を、一人でなく誰かと一緒に感じることが気持ち良いのだと。とはいっても、いろいろな生理現象を人と一緒にしようとすると、社会的倫理的にいろいろ問題が生じることが多い中、「ともに食べる」というのが、最も危険がなく、1日に最大3回もすることができるし、いろいろな関係にある人と楽しむことができて、一番人間にとって好都合な機会なのではないかと。

私も、親しい人、好きな人と一緒に、食べたり飲んだりすることが大好きな一人だ。人一倍好き、最愛の趣味、といってもいいかもしれない。味や香りについて同席の人に話したいからこそ、五感が鋭くなるし、それまでの1日の生活のto doリストから一旦離れて、必要とか可能性とかから自由になって、感性の赴くままに話したり笑ったりすることができる。そんな時間が人間にはどうしてもなければいけないんだと思う。
居酒屋で食べ飲み散らかしながら、同じ研究分野のそんな風に話し合った時間がとってもとっても楽しかったのでした