2011年12月9日金曜日

ベトナム語(L2)音声習得の話 その1

日本でベトナム語の勉強を始めたころの話。

ベトナムを初めて訪れたのは、卒業旅行という名目でだった。ハノイからホーチミンまで2週間旅行して帰国した後、ベトナム語に興味を持って、ちょっと勉強してみようかなという気になった。私はもともと大学で言語学を専攻していて、外国語学習が好きだったし、第二外国語の他にラテン語+2言語が必修だったということもあり、学内で開講されているいろいろな外国語の入門を勉強したことはあった。でもどれ一つ初級レベルを越えなかった。それで、英語の他にもう一つ言語をみにつけてみたいという気持ちは確かにあった。

それで修士に入ったころ、ベトナム語を勉強できる教室を探し(大学ではもちろん開講されていなかった)、市内のカルチャーセンター週1回のクラスに通い始めた。ここでは市販のテキストを使い、文法を中心に教えていただいた。このあと結局、時々休んだりしながら3年近く通うことになる。

私は修士課程では音声学の分野で論文を書こうとしていた。ベトナム旅行をきっかけに、ベトナム人の学習者の日本語の発音の問題について興味を持った。学部の時に実験音声学と調音音声学の科目があったので、音声学の基本的な知識はあった。修士に入ってからは日本語学習者の音声についての科目もあり、ベトナム語の勉強を少し始めていたので、授業の課題としてベトナム人の学生の発音を母語の影響の点から調べたりしたこともあった。

それで、ベトナム語を勉強する上では、発音はできるだけ正確に身につけたいという意識があった。ベトナム語教室では、発音の説明はあまり詳しくなく、市販の教科書にあるような、分節音、主に子音と声調の説明にとどまっていた。私の場合、音声学の勉強をしていたので、1つ1つの分節音の発音のしかたは理解できた。

ベトナム語の発音として、一般的な教科書に説明されているのは、頭子音・母音・末子音・声調の4つの要素だ。この4要素の学習について、勉強を始めた当初の状況を書いていくと。

まず、ベトナム語は日本語にはない頭子音の対立がいろいろあって、例えば t と th、つまり有気音と無気音の対立や、g音、つまり軟口蓋摩擦音などが最初の難関なのだが、どれも他の言語にもあるものだったので、少なくとも調音方法はわかった。 ベトナム語では b や đ (英語のd)などが人によって入破音 implosive ぎみになるのだが、これはこのころはまだできなかったかもしれない。他にも、二重調音とか反り舌音とか、調音音声学の教科書で紹介されていたちょっと珍しい音がベトナム語にはあって、ふ~んこれがそれなのね~と思っていた。調音のほか、音の弁別も、聞きとりテストのような形式で、1音節レベルで聞いて比べて区別しろと言われれば、だいたいできたと思う。でももちろん、連続する発話の中では、tとthの区別などはできなかった。

一方、母音についていうと、調音方法は分かっていたが、当時は音色のイメージがほとんどつかめていなかった。
ベトナム語の母音は10(または11)あり、音声学の授業で勉強する母音四角形上に、ダニエル・ジョーンズの基本母音ばりに、きれいに規則的に並べることができる。つまり、母音の音色の3要素である「顎の開きの大きさ」と「舌の位置」と「唇の丸め」によってちゃんと分類することができる。だから調音方法を学ぶことは簡単だった。しかし、それを身につけるのはとっても難しかった。
日本語で「い」「え」の2通りしかない前舌母音が(顎の開きの狭い方から順に) i  ê  e  a の4通りある。「あ」に聞こえる音がが a(前寄り)  â(中舌) o(後舌)の3通り。「お」に聞こえる音が o (後舌)  ô (円唇)  ơ (非円唇)の3通り。
隣接する音の違いは、かなり長い間、正直わからなかった。中では、円唇と非円唇の違い( o - ô、u - ư )は比較的わかりやすかったものの、ê - e、a - â の違いなどはほとんど全くわからなかった。発音も、注意すればなんとか形を作ることはできたと思うが、ベトナム語の母音の音のイメージ(記憶?)が頭にないまま、口の形だけ作っていたので、ベトナム語らしい発音にはなっていなかったと思う。
ちなみに、 ê - e は今でも間違える。a - â は、母音の音色のほかに持続時間も違い、音節構造によって出現に制約もあることが後で分かったので、今はあまり間違えなくなった。一方、このころは、ニ重母音や、介母音・わたり音のことなどは、あまりよくわかっていなかった。

(その1・つづく)

2011年12月6日火曜日

ベトナム語の音声習得の話(前置き)

私は研究上、「自分の母語にない音韻要素の習得」に関心がある。平たく言うと、例えば、日本人が中国語やベトナム語にあるけど日本語にはない「声調」を勉強するとか、または外国人が日本語の「長い音と短い音の区別」を勉強するとか、そういう場合のことだ。

例えば日本人が、英語のRとLの区別がなかなかできないとかよく言われるが、この場合は日本語に英語のRやLと同じ子音がないというだけで、子音というものそのものは日本語にも(どの言語にも)あるし、よく似た音は日本語にもある。つまり、単に同じカテゴリーに属する要素のバリエーションが異なるというだけである。だから、「ら行みたいな音だけど舌の形がちょっと違ってて・・」というように、母語の知識をある程度利用できる。

これに対して、日本人が声調を勉強するような場合、日本語には声調に当たるカテゴリーがない、か、またはないに等しい。声調というのは、だいたい、リズム単位1つ(中国語のリズム単位は音節)における声の高さの変動の軌跡のパターンによって語の意味を弁別するというシステムといえる。一方日本語では、1つのリズム単位(日本語のリズム単位は拍)の中での高さの変動によって意味を区別するということが基本的にない。だから、中国語の声調を身につけようとすると、母語の知識を活用することができなくて、全くゼロからはじめなければならない。日本人にとって、「あ」という音が、だんだん上がってっても、下がってても、それで語の意味が変わることはないので、その違いを意味と結びつけることができない。違う言葉に聞こえない。つまり、ゼロというよりはむしろ、マイナスからはじめなければならない。

こういうののことを、母語にない音韻要素の習得、と、ここでは仮に言っておくことにする(あまり正確ではないけど一応)。一般的に、こういうものの習得は大変だろう。大人には不利だ、できない、ともよく言われる。
それで、こういうものの習得は、一般的に、果たして一体、できるものなのか、できないのか。なんで難しいのか。できるとしたらどういう条件においてか、大人でもできるのか、その習得はどういう過程をたどるのか。そこに関心がある。
こういうことに興味を持つようになったのは、たぶん自分がベトナム語を勉強したときに習得の過程を経験して、それがなかなか不思議なものだったからだろうと思う。でもこれまでその過程についてあまり振り返ったことがなかったので、参考のために、一度覚えている限りここに書いてみようと思う。

というのは前置きでした。これからちょっとずつ書いてみます。