2011年10月1日土曜日

タクシー運転手のおじさんの話

今朝ホーチミン市から戻りました。
昨日乗ったタクシーのおじさんの話が面白かった。

今回の私の宿はLý Tự Trọng通りにあった。特に目立つことはないミニホテルだ。ベンタイン市場から近い便利な場所だけど、ツーリスティック過ぎず静かで、普通の町の雰囲気があって気に入っている。このへんは表通りには庶民的なごはん屋があまりないのだが、このホテルの脇の路地には朝から晩まで屋台が出るのもよかった。毎朝、宿の普通のコンチネンタルな朝食をパスして、この屋台で麺とかなんとか食べ、雨が降ったり夜遅くなるとお持ち帰りしたりして、とても便利だった。
この宿のもう一ついいところは、いつもタクシーが前に止まっていて、出かけようとするとセキュリティのおじさんがすぐ車を呼んでくれるところだ。ホーチミンでは、メーターを使わなかったりふっかけてきたりするタクシーもある中で、このホテルの前には安全と言われている会社のタクシーがいつも泊まっていて、お釣りをごまかされたりすることもなかった。
最終日の空港に向かう直前に少し時間ができたので、スーパーに行こうとしてタクシーに乗ったら、運転手のおじさんが心配したのか、スーパーの前で「今日もうこれから帰るのか。あと1時間しかないじゃないか、この角で待ってるから買い物済んだら乗れ」と言う。あとでふっかけられたりして?とも思いつつ、スーパーを出ると確かにおじさんがさっきの場所で待っている。まあいいかと思い、他にも数軒回ってもらってホテルに帰り、空港まで乗せて行ってもらう途中で少し話をした。

以下、おじさんとの会話。(べらんめえ調の早口の南部弁を想像してください)。

K(わたし):あのホテル、なかなか良いホテルだよね。オーナーはどんな人なの。
L(おじさん):おう、いいホテルだよな。オーナーはベトナム人で、女の人でな。でもだんなが外務省の人で、だから手続きとかなんとか便利なんだ。他にもホテル持ってるんだよ。そっちのほうは5つ星だけど、こっちはそんなじゃないけどな。でもちょっと高いだろ。
K:ま、すごく安くはないけど。でもサービスがいいし、いいと思うよ。
L:あの路地の中に他にもホテルあるんだよ。そっちは1泊たった20ドルで、ちゃんとエレベーターだってあって、なかなかいいぜ。
K:ふーん、いいね・・。おじさん、私、北で勉強したから、南部弁あんまりよくわかんないんだよね。おじさんはどこの出身なの。
L:おう、おれはここの生まれだよ。すぐここだ。うちはあの路地の中だよ。
K:えーそうなの?あそこに住んでるんだ。(だからあそこにタクシーがたまってるんだ・・)
あの路地、なかなか便利だよね。屋台もあって。
L:そーだな。フーティウの屋台があるだろ。食べたか。
K:毎朝食べてたよ。あそこ、けっこうおいしいなーって思ってた。
L:おー、そーだろ。あの屋台の奥さんは、もう10何年あそこでやってんだよ。
K:へえー、そうなんだー。なるほどね。他にもいろいろあるよね。
L:そーだな。焼きそば、サンドイッチ、果物、チキンライス・・・なんでもあるよ。昼はごはん屋も出て、朝昼晩とあそこで食べられるよ。
K:あの屋台の人達もみんなあの路地に住んでるの?
L:そーだよ。みんな家族みたいなもんだ。
K:へえ~。
L:おれの家族は中国の潮州から来たんだ。昔、あのへんにはいっぱい中国人が住んでてなあ、今でも中国出身の人が多いんだよ。
K:へー、知らなかった。おじさんの家族はいつ中国から来たの。
L:ずーっと昔だよ。おれのおばあさんの時からだ。今80歳だよ。だから母親もおれもホーチミンで生まれたんだ。おれは3代目ってことだな。
K:そーなんだ。私も韓国人の三代目だよ。韓国語しゃべれないけどね。おじさんは中国語しゃべれるの?
L:おーしゃべれるよ。潮州弁だけどな。ホーチミンには、潮州とか、広州とか、中国の南のほうから来た人が多いんだよ。知ってっか。がっはっはー。

確かにその宿の周りの人たちはみんな馴染みのようで、よそ者の悪い人が入ってくるような感じがなく、居心地のいい雰囲気だったのは、そういうわけだったのかと思った。ホーチミン市は(ベトナムの町はどこでもそうだけれど)占領・戦争・社会主義化(または北による再占領?)・そして改めて市場経済の隆盛、と、激動の歴史を重ねてきたはずだけれど、そんな中で、家族や地域社会の歴史もこの場所に淡々と刻まれていっているんだなーと思わせられる話だった。
最初はちょっと疑ってしまったけれど、結局のところこの運転手おじさんはとても親切で気がよかった。あのへんに住んでるなら、今度その宿に泊まればまた会うことになりそうだ。こうやって親切な顔見知りができると、まだあまり詳しくないホーチミン市にもだんだん気楽に行けるようになりそうで、楽しい。