2011年8月15日月曜日

同窓会

先日、高校の同窓会に行ってみた。
私の出身校の同窓生の連帯はわりと強く、社会人になってから出会った人と同窓生だとわかると、もともと知らない人でも、高校の共通の話題で盛り上がって意気投合することもある。
同窓会活動も活発にしていて、それぞれ行われている同期の会とは別に、全学年の同窓会もやっている。母校は来年が創立50周年なんだそうだ。1期生も来ていたし、卒業したての学生も運営委員に加わっているので、だいたい46年分の同窓生が集まったということになる。
初めて行ってみたところ、同期にはほとんど出会えなかったんだけれども、ちょっと仕事で縁のありそうな人と名刺交換もできたし、会ったことのない人でも楽しめるようにゲームなどが企画されていて、なかなか楽しい会だった。
グループに分かれて、母校で昔から脈々と使われているジャーゴンを言い合うビンゴなんかしたりして、しょーもない用語や概念が相変わらずいっぱいあり、伝承され、共有されているいることにびっくりしたりしているうちに、高校生の時の記憶がよみがえってきた。
最後に校歌を歌うということになっていた。私は校歌を完全に忘れていた。でも歌詞を見ながらみんなが歌うのを聞くと、いつもピアノを弾きながら指揮をしていた音楽の先生、私も所属していたブラスバンド部の顧問の先生の顔がありありと浮かびあがってきて、笑ってしまった。
校訓は「自主自立」、校則のたぐいはほとんどなく、生徒会・議会・グループ活動などによる学生の自治が常に尊重されている風変わりな学校だったのだが、今でもその雰囲気は維持されているらしい。何かあれば討論会したり、試験前には学生が自主ゼミとかやったりして、面白い環境だったと思う。自分で考えて計画して、いいと思ったら自由に活動することをよしとする考え方を育てられて、今の自分の基礎になっていると改めて思った。同窓生たちに会うと、そんな同じ基盤をどこか共有しているようにも感じる。
本当にお世話になって大好きだった先生方がたくさんいらした。もともと教員になりたいなんて一切思っていなかったのに、高校のときにいろんな先生に大事にしていただいたからこそ、今、教員の仕事をしているのかなーとも思う。今思えば、先生方はああしろこうしろとは言わないのに、いつも子どもたちをとてもよく見ていて、肝心なときには温かく、助けてくれた。大好きだったのは、40代、50代の、経験豊かな先生方だった。今、当時の先生方に、改めて教えていただきに行きたいような気持ちだ。

今、教育機関の立ち上げの仕事をしているので、そういう学校の習慣とか伝統というのはどういうふうに、誰の力によって、どういう経緯を経て築き上げられるものなのか、とても知りたく思った。簡単なことじゃなく、一人の力でもなく、たくさんの人が長きにわたって気持ちを注ぎ込んだ結果であるはずだし、誰かの気持ちだけではなく幸運にも助けられたはずだ。その価値は、測りきれないほど貴重なものだとつくづく感じる。

元気がわいてくるような、なかなかよかった日でした。次は同期にも会いたいな。

母校のサイト(今や、こんなものもあるのね)