2011年5月22日日曜日

タシケント日記

タシケント記録。
・とてもお天気が良い。こちらは内陸気候で、夏は最高50度ぐらい、冬はマイナス10度ぐらいになるらしいが、湿気はそれほどないのでわりと過ごしやすいようだ。5月はベストシーズンで、お昼は30度ぐらい、夜は20度ぐらい?、そして毎日青空でとてもさわやか。50度って想像できないけど一度体験してみたいものだ。
・タシケント市内の治安は良い。夜は街灯があまりなくて暗かったりもするが、女性が晩ごはん食べた後に歩いて帰ったり、タクシーに一人で乗っても概ね大丈夫なようだ。ひったくりなどの事件もそれほどないらしい。国の管理が厳しく、街のそこら中に警官がいて厳しく監視しているためらしい。
・日常生活はわりと便利。市内には地下鉄があり(ソ連時代に作られたもので中央アジア唯一)バスも走っている。交渉は必要なものの、白タク営業をしている車がどこにでもいる。夜遅くまで開いているスーパーがたくさんある。
・物価は思ったより高い。国内産業が発達しておらず、野菜・肉・果物以外のほとんどのものが輸入品のようだ。輸入元はロシア方面・中国・中東方面などいろいろ。例えば紅茶のティーバッグは一箱3000~5000スム(150~250円)ぐらい、牛乳は1パック7000スム(350円)ぐらいするものもあった。外食は、庶民的な食堂で一食3000スム(150円)ぐらい、きれいなレストランでは2万スム(1000円)ぐらいするようだ。
・独裁により、行政をはじめとするいろいろなことがかなりおかしい。すべてにおいて、厳しい規制と現実が合致していない。例えば通貨スムは公定レートと闇レートの乖離が激しく、公定は1ドル1600スム、闇は2200スムぐらいで、公定レートで両替する人はいないようだ。街はこのところ区画整理が無計画に勧められていて、道路が突然封鎖されたり新たに作られたり、みんなが使っているスーパーや商店がつぶされて公園にされたり、大統領の親族の経営するスーパーに置き換えられたり、といったことが続いているらしい。大学では政府や学長の意向でスケジュールがでたらめに変更され、今年は直前の決定により期末試験が例年より2週間近く早く開始されることになった(私の仕事もそのあおりを食っている)。理由は説明されないのだが、9月にある国の独立20周年記念行事を円滑に行うために学生を田舎に帰らせようと、スケジュールを早める目的ではないかと言われている。国がこのような様子なので、ウズベク人の行動パターンもそれに沿わざるを得ないからなのか、人の行動が何かと場当たり的だ。
・多民族。ウズベク人のほか、ロシア系、タジク系、朝鮮系などいろいろな民族が入り乱れていて、日本人が街を歩いていても違和感はない。言葉はソ連時代からのロシア語使用に代わってウズベク語が公用語となっているが、ロシア語はまだよく使われている。ウズベク語は以前はキリル表記だったのがローマ字に改められたものの、まだキリル表記が通用している。英語が分かる人は多くない。母語以外の言語を生活の中で使うことはあたりまえになっていて、例えば母語がウズベク語、学校がロシア語、外国語として英語とドイツ語とさらにもう一つ・・・といったように3~4言語を学ぶことも全く珍しくない。そういう経緯で日本語を学ぶ人もそれなりにいる。ウズベク語はトルコ系の言語で日本語と文法が近く、日本語の習得は非常に速い。
・全体として人はよく親日的で、日本人には楽。写真も撮りやすい。カメラを向けても無反応かまたは積極的にポーズを取ってくれる。風景は色鮮やかだし非常にエキゾチックで、撮りたい景色がいっぱいです。

ところが昨日、NikonFGにつめていたフィルムがきちんと巻き取られていなかったことが判明。たぶん一本36枚分何も写っていない。ああ・・・・。デジタルでも少し撮っていたのでよかったけど。幸いまだ数日あるので今日から撮りまくります。

市場の仲良しおばちゃん二人組

2011年5月18日水曜日

タシケント日記

珍しく朝もちゃんと起きられて、割と余裕を持って移動できて無事に飛行機に乗れた。
名古屋からの便の機内食はかなり残念な感じだったけど、仁川ではいつも、そんなにお腹が減っていなくてもつい韓国料理を口に入れたくなる、ということで食べたユッケジャンが辛くておいしかった。
ソウルからタシケントまでは7時間以上。けっこう遠い。
ソウルからの便で隣りに座った韓国人のビジネスマンおじさん(自動車関係)の話が面白くて、なかなか楽しいフライトだった。

飛行機で、席の前についているモニターに映る飛行経路のアニメーションを見ていて思った。いわゆる世界地図上の飛行経路のアニメと、飛行機が向かっていく前方方向のアニメとが交互に映るんだけど。
例えばタシケントに向かう際、北を上にした世界地図において、自分の乗ってる飛行機が西から東へ、つまり画面の右側から、目的地のある左側へと飛んでいくようなイメージを思い浮かべていた。
けど、実際は飛行機は、まだ見ぬ目的地に向かって、闇雲に前へ前へと飛んでいく。もし自分が操縦席にいたら、当然ながら目的地は遥か遠くにあって見えなくて、ただコンパスの指す方向に向かって飛んでいくんだよね。
ソウルからまず中国西方に向かい、北京を通りすぎて、だんだん砂漠が見えてきて、さらにテンシャン山脈の上を飛んで(これはちょっと見えた)、インドを左側にモンゴルを右側に見ながら、いつか雲の下にタシケントが見えるはず、って思いながら飛ぶわけだ。
それは勇気がいることだよね。
もちろん乗客からは片側しか見えないし、第一見えても雲の上だから今どこにいるかわからないし、そういうふうには感じられないけど。
飛行機ってほんとに何にも導かれないまま、勇気を出して飛んでいってるんだな~、って思ったらすごく不思議に思った。あたりまえのことだけど。
いつか行ってみたいと思ってるインドやバングラもあの視界の向こうにあって、通りすぎたんだよなー。

時差マイナス4時間だけどこの調子だと問題なく適応できそうです。。。

2011年5月10日火曜日

ぬれて行こう


このくらいの雨なら、傘はまあいいか・・。ハノイの春先特有の弱い雨が降ってた。
旧市街の路地の奥行き感が写ったかな。

小糠雨



他国在住の日本人がハノイを訪れて、「今でも本当に菅笠かぶって天秤棒かついでる人たちがいるんですねー」って感想を述べていた。確かに、そう言われてみれば、ビルが建ってもATMが林立しても菅笠・天秤棒は現役。特別なものではない。田舎からハノイ市内に商売に来る人達がこのスタイルであることが多いから、都会と田舎の格差の象徴という面もある。でも市内の人でも、菅笠は一家に1つぐらいある気がする。ちょっと日傘替わりとか小雨よけにとか、ハノイの気候には便利なものですよね。でもいつか、ハノイから菅笠や天秤棒がなくなる日が来るのかなあ。
これは旧市街Hang Giay通り周辺の四つ角で撮った。雨が降っててぬれるし暗いし、時間はなかったし、旧市街は建て込んでるので、50ミリでは街並みが視野に入りきらないため、28-70mmを付けてたので、なおさら暗くて苦労した・・。
ハノイのおばあさんは、とってもよい絵になる被写体です。

泣くのはがまん


これ、撮ったときの気持ちそのままの写真になって、うれしい。
ちょうど後ろから柔らかい夕日が当たって、光もよかった。